盛岡~八戸(最後の1線)

いよいよ未乗区間がなくなる日がやってきた。当初はいろいろ観光、もしくは撮影を兼ねて出かけようと思っていたのであるが、いつまでもズルズルと残しておくのもいやなため、急遽日帰りで行くこととした。このため割引切符は一切使わず、片道普通乗車券と新幹線特急券の足し算という高い出費をする羽目になった。

2003年-1月18日(土)

東京発 9:58 のはやて 9 号は、ほぼ定刻通りに盛岡に到着。ここから八戸までの約 100km 弱が最後の未乗区間である。盛岡から先がトンネルの多い区間であることもあり、あっけなく八戸に到着。感慨にふける間もない最後であった。

一般の乗客が出口に向かうのと反対に、ホームの先端に向かいそこで記念撮影。と言っても、たまたまそこにいた同業者にシャッターを押してもらっただけである。

[ホームで記念撮影]

私の乗りつぶし規則では、「経営主体が変わっても以前の乗車実績を引き継ぐ」としているので、三セク化された旧東北本線に乗る必要はない。しかし、そのまま新幹線で帰るのも、長い巻物を開きすぐに閉じるみたいで面白くない。このため、盛岡までは、青い森鉄道、いわて銀河鉄道で行くこととした。
窓口で「三セクで盛岡まで」と言い乗車券を買ったが、JRが運営していた時1,890円だった運賃も2,960円に跳ね上がっていた。私みたいに趣味で乗る人間はよいが、通学でこの路線を使っている高校生の親等は大変な負担増である。

盛岡行きの列車は15:11までなく、駅だけは立派になった八戸で2時間を過ごすのはあまりにも辛いことであるため、腹ごしらえをした後13:59発の3514Mに乗り、とりあえず三戸まで行った。

[八戸発三戸行き]

天気が良かったため、三戸に着くと馬渕川周辺をうろうろしてみたが、すぐに引き返し駅構内で待った後、15:32発の盛岡行きに乗った。
目時から先は岩手県で、いわて銀河鉄道の営業範囲となるが、青森側がJR時代の駅名表示板をそのまま使っているのと対象に、こちらは全て新しいのに変わっていた。

この区間を最後に昼間通ったのはもう10年以上前のことであり、ほとんど記憶にはない。新規に乗った気分でいるうちに日も暮れ、16:54盛岡着。

駅構内で売っていた冷麺を土産として買い、17:39発のはやて24号に乗車。20:08に東京駅に着き、京浜東北線、東急大井町・田園都市線を乗り継ぎ22時頃帰宅。

家に着いてみると、実は青森まで行った夢を見ただけではないかという気もしたが、とにかく自作の集計ソフト全国鉄道乗車実績集計に本日乗った分を入力。乗車割合の計算をし、100.00の数字が並んだのを確認した。

30,000円以上を使い八戸まで往復したわけであるが、これで20年余の長期にわたる業務はとりあえず完了した。今後は新路線が開業するたびに、なるべく早いうちに乗るつもりであるが、後免~奈半利のような路線の開業予定は最早なく、通勤路線の延伸、線路の付替え等ばかりである。また、モノレールが開業する沖縄まで、高い運賃を払って飛行機で往復しなければならない。それを考えると憂鬱でもある。


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